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ディズニー英語・ピグマリオン・Z会…我が家の幼児教育、家庭学習 取り組みまとめBlog

こどものアート性の伸ばし方について思う事。

今月に入って毎日更新していましたが、体調不良のため、ちょこっとお休みしておりました。

さーて、ブログ書きますね!

 

 

幼児期のアート性、是非個々人の才能や感覚は伸ばしてあげたですよね💕

ぶっちゃけですが……
よくあるじゃないですか、
パフォーマンスちっくな「全身絵の具だらけで壁一面キャンバス」とか、それだけじゃないですけど、ゲームや遊園地や大人さながらのアトラクション。

よくインスタ映えしそうな子ども向けのイベントが関東圏であったりしますよね。

長期休暇時に混雑しそうなスポットとか。

……間違いなくそれは絶対楽しい!
非・現実感はその時そこでやってるイベントに参加するか自分で企画しないと味わえないと思います!

 

でも、遠方に行ったりお金をかけて何度も低月齢の子にそこまで非現実的な世界を親が準備させてあげる必要はあるのか?というのには疑問を感じます。

私は「幼少期に過度な非日常はなくてもいい」と思うのが正直なところです。

だって、大人になって淡々とした日常の繰り返しになったら、途端に詰まらなく感じませんか?

いつまでも非日常を追いかけ続けるなんて、疲れちゃいますよね。
だったらその時間を使って、もっと学ぶべき事はあって。。。

 

田舎育ちの私は、長期休暇は都会よりも更に田舎の祖父母の家に泊まり込み、

虫を追いかけたり、地元の祭りに参加したり、親戚巡りをしたりして過ごしました。

そこで可愛がってもらったり、美味しいものをお手伝いして作って食べたり。

現実にある本物の何かに、自然に触れあっていました。

何事も興味津々で楽しかった。

幼少期の自然体験や生きた感覚や記憶って、凄く大事。現実世界って、こんなモノ。っていうリアルを知るのが幼少期では大切じゃないのかなと😊✨

 

先日見に行った、森美術館の塩田千春展。

…彼女も自分の内部と現実世界の混沌とした感覚的部分をずっと作品に起こしつづけていました。
数々のアーティストが自分の内外と対話する風景は色んな作品から読み取れるけど、結構、自然体験、幼少期の記憶がその後のアーティストの人生や作品に投影される事って凄く多い。

毎日の丁寧な暮らしの方が実は重要だと思う。
刺激的な日々、非日常が日常に変わってしまうと、「ふつう」「淡々」が詰まらなくなる。

ある程度の秩序や規則の中で生活できたら、その中でひとつ刺激を受けたときの感動や感受性って物凄いと思うんです。

 

日々、感性を研ぎ澄ませること。

その為に、過度に刺激的な日常は必要か?

人込みの中、混雑をかき分けて、子どもを連れまわす必要は?

…と、東京で子育てをしながら都度感じます。

 

 

私は都会に住んでいるからこそ、もっと自然に帰化して欲しいなぁと思っています。

人工的な環境よりも、自然って壮大で、感動的なもの。

そんな中、自分の内と外で沢山対話したり考えたりできるようになったら良いなと思います。

立場や社会や環境の仕組みに意見を持ったり、疑問を持ったりしながら、それを糧に何かを創造できる人になってほしいなぁと子どもに対して願います。

 

将来的にはね。

これは、アートだけじゃないけれど。

感性って本当に大切な感覚で。

受け取ったときの印象も、ポジティブもネガティブも捉え方次第だし、表現も然り。

 

ものや出来事に対して意見があることって、能動的に行動する活力になると思うんです。

上手いとか下手とか、そういう次元じゃなくて。

手仕事的な、技術に関しては、大人になってからいくらでも身に着けられます。

 

ひとりの人間が感じる、感覚的な部分を、自分がどう受け取って、表現するか、対話するか。

そこをよーーく観察して、考えることが、アートなのかなと。

そんな感じで思っています。

それが、大人でも、こどもでも、です。

 

だから、わざわざ「○○教室」とか、「○○イベント」とかに低月例のうちから連れて行って技術を教えるのは少し時期尚早かなと。

それよりも、もっと興味関心のあることを増やして、その知識を掘り下げて深く身に付ける方が有益かと思います。

 

いつか息子にも伝わるといいんだけど…😊

 

******

余談ですが。

 

Instagramなんかを見ると、「ここに連れて行きました✨」というキラキラしたシーンが沢山あって、いいなぁと眺めるばかりですが・・・。

私は「いいな」とは思うけど、焦って便乗したり真似することはめったにありません。

 

大人になってから体験できること。

子どもの頃しか感じられないこと。

よーく考えてみたいですね💭

 

大人になってから出来ることって優先順位は低めでいいと思います。

子どもの頃しか思いっきり楽しめない事が沢山あるとしたら、そちらが最優先。

 

泥遊びや感触遊び。

運動や音感教育。

空想しながらごっこ遊びをしたり。

簡単な絵本を読み漁ったり、図鑑を読んだり。

それらとホンモノを結びつける体験をさせたり。

家や近所で身に付くこともいっぱいある。

身の回りの環境を蔑ろにしてまで、非日常を追いかける日常って何だ?

 

大人が準備して、人が作ったものよりも、私は自然に帰化したい気持ちが凄く大きい。

幼稚園や保育園終わりに平日は習い事やおけいこをして。

毎週末はお出かけばかりの日常って、こどもにとってはどんな感覚なんだろう?

 

連れていく場所にもよると思いますけどね。

受動的に連れまわされるのか、能動的に自ら望んで行きたいところで楽しむのか。

子どもはやりたがっているのに、親の都合で諦めさせたりは可哀想。

せっかくのやる気と情熱の芽を親に摘み取られ過ぎれば、子どもは情熱を持てなくなりそう。

 

親がさせたい事よりも、子どもが主体的にやりたい事を増やして、

その中から親が取捨選択して与えてあげたいなぁと私は思います。

子どもが低月例の場合は、まだそんなに連れまわす必要すらないと思います。

 

自我が芽生えて、自分がやりたい!と思えることがあったとしたら、

それをサポートするのが親かな、と。

強制的に連れてくのって、すごく簡単なんですけどね。

我が家では子どもに対しても、「今日、こんなことしたいと思ってるんだけど、どう?行かない?」と誘ってみたり、「こんなにたのしいんだけど、やってみない?」とプレゼンしたりしています。

子どもの返答は「いいよ」「じゃぁ、こうしようか!」という感じで、無理やりさせたことはありません。

無理やりさせることがあれば、「早く寝なさい」くらいかな笑。

 

 

親と子という立場(上下関係)を勝手に決めて、強制的に何かをさせるのって簡単なんだけど、後で歪みが絶対生じると思うんですよね。

強制も、禁止も。どっちも恨みを買ったりしますよね💦

能動的に行動できた時に初めて、充足感や達成感を味わえたりするんじゃないかとも思いますしね。

 

人の心を動かすって本当に大変なこと。

子どもも一人の人間。ちゃんと対等に接することにしています。

その積み重ねが、将来的に「自分の意思を大切に尊重してくれた」と子どもから信頼を買う材料になるかもしれませんし。

知らない事に出会った時に、キラキラと目を輝かせて感動できる、この子どもの時期を大切にしたいです。

その感動や子どもの感覚を、私も信じています。

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